最後の試合

「勝負あり」

その審判の声と同時に熱気と歓喜で場内が湧いた。

あの日、私の9年の剣道人生は幕を閉じた。

高校3年の最後の夏の大会。

 

我が校は地区予選を2位通過で県大会へと駒を進めた。

県大会は西部・中部・東部のそれぞれベスト16が集まって行われる。

保護者たちは観覧席でトーナメント表を見ながら、各々が勝敗予想をたてていた。

「ベスト8で優勝候補の高校と当たるのか」

とまだ1試合もしていないのに、その手に持つトーナメント表は赤い線で2回戦まで勝ち進んでいた。

 

 

その予想通り危なげなくベスト16まで勝ち進んだ。

そして、対するは優勝候補の高校。

スポーツをやっていた人なら感じたことがあるかもしれないが、戦う前から勝てるか勝てないかがわかるようになる。

剣を交えるまでもなく、後者の気配を感じた。

「諦めたらそこで試合終了だ」

そんな言葉をどこかで聞いたことがある。

だが、当時の私はここで負けるんだろうなと正直諦めていた。さらに言えば、毎日の稽古が本当につらく憂鬱だったので、やっとあの日々から解放されるとまで考えていた。

汗を拭うことも忘れるほどに一矢報いてやろうと闘志を熱く燃やすチームメイトたちにとても顔向けできないと思った。

 

顧問の先生が試合が始まる直前に選手を集めた。

「よし。大島、庄司は準備しろ。選手交代する。」

補欠の同期の3年生2人は急いでアップを始めた。

私を含めたチームメイトは察した。

この試合が最後なんだ。

記念試合にしようとしているんだ。と。

今までレギュラーと補欠を選手交代することなど

一度もないと言っていいほどしなかったからだ。

 

長くなってしまったので、続きは明日にしようと思う。

 

 

運命だった

人生において、振り返ったらあれが大きな分岐点

だったと感じる瞬間がある。

 

2020年某日、いわゆるコロナ禍になり私は

会社から帰ると外出せずにひたすら動画を見た。

その中の1つにパチンコライターの方たちが

毎日生放送を行い、視聴者のお悩み相談をする

コーナーがあった。

私はその番組を見ることがとても好きで

毎日の楽しみになっていた。

 

ある日、いつものように生配信を見ていると

PS4で遊べるFPSゲームをやるとの事。

当然のように私が好きな演者さんがやっている

ので面白く無いわけもなく、気がつくと自分も

そのゲームをダウンロードして遊び始めた。

 

弟と2人で遊ぶことが多かった私は

次第にネット上の知らない人と遊んで

もっと上手くなりたいと思うようになった。

 

そこで、初めてSNSに手を出し勇気を出して

同じく募集をしている人にDMをした。

そもそもフォローとフォローバックの仕組みも

理解していなかった私はいきなりその人にDMを

したのだが、偶然にもその人もSNSを始めた

ばかりで、さらには同い年だった。

名前をG君とする。

G君は社交性が高く、コミュニケーション能力も

高かったのですぐに打ち解けることができ

フレンドも一瞬にして増えていった。

 

その中の1人にYさんという女性がいた。

Yさんはゲームをすごく楽しそうにプレイする。

一緒に遊んでいるとお腹を抱えて笑うほどに。

そんなYさんといつしか頻繁に連絡を取り合う

ようになった。

毎日他愛もない話をしたり、お互いの学生時代の

ことを話したりしていた。

気がつくと私は恋をしていた。

いわゆるオフ会のような形でYさんとご飯に誘い

何度か会う内に交際することになった。

これが私の妻との出会いだった。

 

どの事象が運命だったのかはわからない。

ただ確実に言えることは「ありがとう」の一言だ。

見た目

人は見た目で判断してはいけない。

けれど、誰もが無意識でこの人はこういう人だ

と判断していると思う。

 

高校の修学旅行で私は北海道に行った。

部活仲間6人でグループ行動をしていて

五稜郭や札幌テレビ塔など観光名所を巡った。

 

その後18時にジンギスカンが食べられる

レストランに集まるよう指示があったので

談笑しながら入口へと向かった。

入り口へ向かうと、1人の男性が

「〇〇高校の方はこちらからお入りください」

と一般客と修学旅行生を分けていた。

修学旅行生が入る入り口へと向かうと

「すみません」

と私たち6人組は声をかけられた。

「はい」

と答えると、その男性は

「保護者の方はこちらです」

と言った。

その瞬間、私たちは大笑いした。

大島くん(仮称)は見た目がかなり大人びていて

よく皆からこのいじりをされていたのだ。

やはり人は見た目で判断してはいけない。

営業という仕事

お仕事は何をされていますか。営業をしています。

美容院や合コンなどでこんな会話をよく耳にする。

営業をするとはどういうことだろうか。

 

大学を卒業した私は、アルバイト先だったガソリンスタンドに正社員として入社した。

正社員といってもやることはアルバイトと変わらず、ノルマという数字がついてくるだけだ。

給油目的で来たお客さんにオイル交換やタイヤ交換を勧める。

いわゆる営業という仕事をしていた私はふとこう思った。

来店時には購入意欲がなかった客にオイル交換の必要性を訴え、購入させることは

果たして良いことをしているのだろうか。

営業とは客に商品を買わせることが仕事なのだろうか。

こんな思考に至るのは私だけだろうか。

そんな風に思いながらもいつもと変わらず、元気に「いらっしゃいませー!」と声を張る。

 

互いを思いやる

思いやり。

「まごころ。相手の立場で考える。」

広辞苑にはこう書いてあった。

 

今日、妻と他愛もないことで喧嘩をした。

妻のことを思いやり行動したことが裏目

でて、ひどく怒らせてしまったようだ。

思いやりとは偽善であり、傲慢なことであると

強く感じた。

人間と言うのは難しい生き物だ。

 

人生で初めて手を上げた日のこと

私はとにかく争いごとが苦手で

言い争いや一悶着ありそうな気配を感じると

その場を離れたり、どちらかをなだめたりする。

怒りの矛先が私に向いている時は

ひたすら聞き役に徹し、相手が疲れて静かになる

その時までじっと息を殺す。

それが私の処世術だった。

 

時は中学2年の部活終わりに遡る。

今となっては酷い事をしていたと自覚している。

その日もいつものように同期をいじったり

馬鹿にしたりして、わざと怒らせて

その様子を皆で笑っていた。

同期の名前を仮に竜太とする。

一連の流れを終えると、防具を外し

道場と体育館のわずかな隙間で道着を脱いで

ジャージに着替えた。

私が着替え終わり、さて帰ろうかというところで

通学リュックが無いことに気づいた。

竜太がニヤニヤした表情をした。

散々やられたお返しに私のリュックを隠したのだ。

「どこにやったんだよ」そう私が言うと竜太は

「知らねえよ」と言い返した。

竜太が隠した事は表情からしても明らかなのに。

その刹那、カッとなった私は

人生で初めて右手をグーにして人を殴った。

その時の感触は今でも覚えている。

すごく不快で、とても痛かった。

もちろん竜太にも殴られた。

人に殴られた事も初めての事だった。

 

翌日、竜太にきちんと謝罪をした。

そして人に手を上げることは今後一切しない。

そう心に誓った。

初めて始める日記

はじめまして。日記の冒頭はこんな感じだっただろうか。

兎にも角にも、ふと日記を書いてみようと思った。

いや、動機はyoutubeで有名パチンコライタートークしている動画を見ているときに

なんて聞きやすいトークをするのだろうかと感心したからだと思う。

文章を書ける人はしゃべりも上手なのではないか。

この日記を書いているのは、そう思った30分後の私である。

 

さて。今日は小学4年生の時に初めて道場に連れて行かれた話をしようと思う。

当時の私は毎月歯医者に通う少年で、

歯医者の近くにある巨大な恐竜の置物に毎度興奮していた。

その日も学校が終わると母親の車で歯医者へ連れて行かれた。

後部座席に乗り込み、すぐに携帯ゲーム機を触る。

すると駐車の音が聞こえ、パッと窓を見るとそこには見たことのない風景が広がっていた。

母の「行くよ」の声とともに入口へと向かう。

 

これが私の人生のおよそ3分の1を占める剣道との出会いだった。